[倫理学][道徳]3. 道徳の複数性

 道徳は、ある共同体を支配している「〜べきだ/べきでない」で語られるものの総体のことで、共同体の構成員(メンバー)にある種の内面からの拘束力を持たせるもので、「所変われば品変わる」ものと言いました。道徳は人間が生み出したものだから、道徳も文化であるとも言えましょう。では、人間は人間としてなぜ道徳を生むのでしょうか。

3.1 文化としての道徳
3.1.1 人間にとって道徳とは何か
 アリストテレスは『政治学』で「人間はポリス的動物である」と言いました。人間は社会を放っておいてもその本性上社会を作る存在です。ギリシア人は「目的があるから存在する」という目的論的な見方をするのですが、人間は「言葉」を持ち、動物と区別されます。つまり、「声」が表現できるのは快や苦と(極めて個人的・主観的なもの)などで、人間は「声」のほかに「言葉」を持っているから、快楽・苦痛とは違うこと、善・悪(極めて客観的なもの)を語ることができるのです。言葉を用いて対話状況を生み出すことで、自ずとポリス・共同体といった言葉で議論する空間が発生しました。その中で人間は善・悪を語り、それに賛成・反対するというような議論を発生させます。
 18世紀に、ヘルダーは動物欠陥論を主張しました。世の中には、アバウトなつくりのどこにでもいる動物と、繊細なつくりの所定の所に住んでいる動物がいますが、人間はどこにでもいるので最もつくりがアバウトだとする考えです。
 20世紀に、ゲーレンは哲学的人間論を主張しました。人間は知性を持っているからといって、動物より上だと思われがちだが、人間は動物より本能レベルで欠陥を持っているから、知性で本能を補うことで動物的レベルと同等になるという考えです。
 人間は自分の内で善・悪を語らないと自律できません。そして、人間は、自由に基づいたルール(道徳)によって初めて自然に適応できるのです。つまり、道徳とは持つことによって初めて人間は自由を得ることができるようなものです。

3.1.2 道徳はどのように成立するか
 「所変われば品変わる」道徳(Moral)はどのように成立するのでしょうか。
 まず、歴史的背景から成立してきたものがあります。「昔から皆がしてきたから」と言われるものです。次に風土的背景から成立したものです。「うちの所ではこうしているから」と言われるものです。また、特殊な背景から生じるものもあります。「うちの集団ではこうしているから」と言われるものです。ある特殊な人間集団に存在するルール(例:盗賊にも道徳がある)がこの部類です。しかし、医者の道徳やバス屋の道徳のように、風土や歴史によりいろいろと生じるが、それぞれ違っていても共通の道徳があります。

3.2 道徳の複数性がもたらすもの
 では、「所変われば品変わる」道徳の複数性は何をもたらすのでしょうか。
 複数の道徳があれば、その中で対立するものも存在します。すると、道徳規範が衝突する事態が発生します。
 まず、同一の道徳体系の中での衝突です。これは自分で決めた体系のことを言っているのではなく、極めて一般的な道徳体系についての衝突です。例えば、「嘘をついてはいけない」と「他人を悲しませてはいけない」という道徳規範は、癌の告知の際に衝突します。他人を悲しませまいと敢えて嘘をついて病状を説明するのは上記の道徳規範に明らかに矛盾します。この場合、癌の告知という事態が、誰にでも、どこでも当てはまるように告知することが不可能であることを示唆しています。
 次に、異なる道徳体系の中で衝突します。一人の人間として生きるのか、国民として生きるのか、または平和道徳と軍道徳の衝突など、さまざまな衝突があります。また、夫婦別姓が必要だと考えていても、世間はその夫婦の子どもはどうするのかと考えるように、個人と世間の間での衝突もあります。
 この衝突に対する態度として、我々は自分で決めて、その行為をする理由を公にしなければなりません。
 しかし、道徳規範を1つにまとめることはできないのでしょうか。これができれば、道徳の究極の根拠となるはずですが、非常に難しい問題です。
 例を挙げます。まず、黄金律についてです。黄金律とは、「汝の欲するところを他者に施せ」というような法則です。「自分にしてほしいと思うことを他人にも行いなさい」ということですが、「自分にしてほしくないこと他人にしてはならない」とも表現でき、衝突する具体的要素を両方とも正当化してしまうので、衝突の解決になりません。
 次に、普遍化の原理についてです。これは環境倫理などで用いられていますが、「皆が同じことを行えばどうなるか」と問い、相手の責任意識を目覚めさせる手法です。しかし、抽象的すぎるから、「自分だけならいいだろう」、「自分以外はしっかりやってくれる」と考えている人間や、究極的に無関心な人間には効果がありません。

3.3 相対主義の問題
 「所変われば品変わる」道徳ならば、普遍的な道徳はないと言えるのでしょうか。以下、相対主義をめぐる問題について考えてみます。

3.3.1 文化相対主義
 文化相対主義は、,修譴召譴諒顕修呂修譴召譴良土に対して相対的で、∪簑佚な文化など存在しない、これらの要素を含んでいるものをいいます。まとめると、以下の図のようになります。

    【背景】
文化A─風土A
文化B─風土B

 文化相対主義を社会政策的に応用したものが、オーストラリアやカナダのケベック州などの多文化主義です。ここには「寛容」という道徳が背景にあります。
 では、道徳が文化に対し相対的であるならば、何一つ絶対的な道徳はないと言えてしまうのでしょうか。まとめると、以下の図のようになります。

道徳A─文化A─風土A
道徳B─文化B─風土B

3.3.2 道徳相対主義
 この道徳相対主義を受け入れるのでしょうか。もし受け入れるのならば、「よそ者は黙れ。これがうちのやり方だ」として普遍的な道徳などありえないでしょう。もし受け入れないのならば、文化相対主義者が主張する「寛容」の道徳はその普遍的絶対性を否定され、論理的に破綻してしまうでしょう。つまり、文化相対主義は「寛容」の道徳があるからこそ文化相対主義になれるのです。
 文化相対主義者は道徳相対主義を受け入れた時点で文化相対主義者自身が主張する「寛容」の道徳を否定します。まさに自己否定の論理です。
 また、各道徳は本当に「道徳」の名に値するのかを十分に検討しなければなりません。

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