[歴史学][歴史哲学][8.15終戦記念日][靖国問題]<現在>と<過去>との<断絶>

 昨日から、<戦争と平和〜終戦記念〜靖国神社問題〜御魂への鎮魂〜過去を顧みる態度>について、やや漠然としつつも綴ってみた。<過去‐現在‐未来>と、現在の行為は繋がったものでありながら、為してしまった行為、完了してしまった行為はもはや<過去>のものとなり、それらは絶えず<現在>との間では、必然的に<断絶>しているのである。<現在>の視点から全ての<過去>を批判することはとても容易だ。だが、<現在>と<過去>との<断絶>を踏まえた上で、<過去>を<過去のまま>に批判しようとする態度で批判し、認識できる形に<取り戻す>ことが重要である。

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[歴史学][歴史哲学][8.15終戦記念日][靖国問題]歴史を顧みる際に弁えるべき態度を。全ては御魂の鎮魂のために…。

 8月15日は終戦記念日である。だが、8月15日に戦争が終わったわけではない。あくまで終戦を記念する日だというシンボリックな意味合いでしかないことを弁えねばならない。
 戦後60年が過ぎ、あの戦争が一体なんだったのかを、日本人自身の手で批判(=吟味)する動きがようやく出てきた。それは言わば忌わしいタブーに攻め込む行為のように見えるが、今まで殆どできなかったツケを払うことに過ぎない。日本が止むに止まれぬ戦争に自ら追い込まれた理由を、当時の日本人が負わされた苦しみを、悲しみを、<再び取り戻す(viederholen)>ことをしなければならない。全てをありのままを正確に取り戻すことはできない。<取り戻す>行為の中に必然的に取捨選択の力が働いている。よって、「歴史を正確に認識すべきだ」という主張は全くのナンセンスなのだ。しかしながら、取捨選択の力が不可抗力的に働いていることを<自覚しつつ取り戻す>ことが重要なのである。このことを弁えなければ、いつまでも不毛な議論を繰り返すことになる。最低限、「歴史を正しく認識すべきだ」という主張に全くの意味が無いことを自覚すべきだ。
 全ては御魂の鎮魂のために…。

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[歴史学][歴史教育][歴史教科書]検定済教科書閲覧会場へ

 先日、来年度の改訂版教科書を閲覧する会場へ同行させて頂いた。そこで、私は各社の歴史教科書を見た。勿論、来年度版の扶桑社の『あたらしい歴史教科書』も見た。
 私自身、前版の『新しい歴史教科書』・『新しい公民教科書』を持っている。それよりもサイズが大きくなり、分量も多い(公民教科書も同様)。
 実際に読んでみると、マスコミや諸外国が大きく騒ぐほどのものではないように感じた。言わば<騒ぎすぎ>のように思えた。別に授業で扱うべき歴史の内容と大きく逸脱した内容でもなく、マスコミや諸外国が言うようほど、「戦争を美化している」ような内容でもない。この点では、「批判するなら読め」と言われても仕方がないだろう。
 歴史に関する問題については、時間がないので今回は詳しく書かないが、歴史の問題を見る際には、〇実問題(事実の存在の有無)、因果関係問題(影響や作用)、GЪ洩簑蝓併実や因果関係をどのように捉えるか、歴史認識)の3つの問題の要素に分解して問題の構造や全体像を捉えた方が良いだろう。

【参考文献】
拙稿(2005.4.16)「韓国・中国の反日行動」、http://tmaker.jugem.cc/?eid=134
――(2005.6.1)「歴史共同研究」、http://tmaker.jugem.cc/?eid=156
*もしくは、当ブログの検索エンジンで「歴史認識」や「歴史問題」、「記憶」などのワードを入力して検索してみて下さい。

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[韓国][歴史学]歴史共同研究

 久々に勉強に集中できた後なので、精神がまいっているのだが、一応。

 韓国の東亜日報の日本語版ウェブサイトにこのような記事があった。

韓日歴史共同研究、「共同の理解」見出せないまま研究修了

 韓日歴史共同研究委員会は、古代史、中世史、近現代史の3つの分化委員会に分かれて、韓国のソウル、扶餘(プヨ)、江陵(カンルン)、晋州(チンジュ)、日本の福岡や奈良などを行き来しながら討議を重ねた。韓国側では研究委員のほか、別途の研究協力者91人が参加して、韓日関係史のうち103の細部テーマを独自に選定して研究を進める熱意を見せた。
 しかし、歴史共同研究に臨む韓日の立場はお互いに違っていた。韓国は同研究を通じて日本の歴史歪曲を防ぎ、両国の共同教科書の執筆にまで発展させていく考えだったが、日本側は歴史歪曲の波紋を抑えようとする意図が強かった。(以後省略)
(尹鍾求、朴炯準[2005.6.1]「韓日歴史共同研究、「共同の理解」見出せないまま研究修了」、http://japan.donga.com/srv/service.php3?bicode=050000&biid=2005060132418[東亜日報日本語版〔http://japan.donga.com/〕所収].)


 歴史共同研究だけでなく、過去の歴史を考える上で、次の要素に分解して分析することが必要だろう。

_甬遒僚侏荵が果たして存在したか否か(事実問題)
過去の出来事が後続の出来事に対してどのような影響を与えているのか/どのように作用しているのか(因果関係問題)
2甬遒僚侏荵から成る関係や歴史をどのように認識するのか(認識問題)


 ,六実の存在を分析することであり、その検証には実証や科学分析などの社会科学(自然科学)的アプローチが用いられることがある。
 △亙数の事象の関係を分析・構築することであり、関係性を調べ上げていく過程で新たな歴史的過去を発見する可能性がある。
 は歴史的過去について人々がどのように認識しているのかを調べることで、この分析には思想や人間感情を考える過程が含まれる。即ち、「過去をどのように考えているのか」という歴史哲学を考察せねばならない。

 「歴史問題」と言っても、少し考えただけで上記のような要素から成る問題が複雑に絡み合っている。そのことを、歴史を考える際に忘れてはならないだろう。

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[歴史学]物語的歴史と神話

【脱稿 2002.10.2、改稿:2005.2.4】

1. はじめに
 近代歴史学は、原史料主義、史料批判、客観主義という方法をとり、科学的明証性を帯びた歴史学を構築しようとした。日本においても三条実美を中心に、太政官に修史館が設けられて『大日本編年史』の編纂が行われた。この編纂事業は事実に基づいた歴史、日本史を国外の価値観に依拠した一つの文明史として行われた。だが明治維新後、天皇を中心とする近代立憲国家の完成をすべく、天皇の正当性、神聖性の確保のために神話を用いて物語的な歴史、国民国家史へと傾倒していった。そこで用いられたのが神話であった。

2. 近代国家における神話
 近代において、国家運動自体のなかで民族の文化的根源として神話の意味を見出し、『古事記』を古典化していく。つまり、国民としての在り様を確かめるために、過去の文学を顧み、そのあるべき姿を現在に実現しようとする。「古典」の価値はそこで見出される。『古事記』はその中で、民族の古伝としての位置を確立した。民族の古伝承として『古事記』を捉え、その神話を民族的根源として位置づけた。『古事記』は近代国民国家の古典となったのであった。
 そして、天皇の正当性の問題へと関わっていく。天皇制国家の神話から根拠づけられたものとして、大日本帝国憲法がある。
 大日本帝国憲法には「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」(第一条)とあるが、「万世一系ノ天皇」の正当性の根拠付けのため、「古典」としての『古事記』『日本書紀』の国生み神話、降臨神話の引用により、天皇が近代国家の君主として正当なものであることが確認されたのである。
 更に天皇の神聖性(「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」[第三条])も、「肇造ノ時」(世界の始まりから、全歴史を貫いてきた君臣の在り様)の証明に古典が不可欠であった。
 そして、それらを国民に定着させるために教科書にも神話が用いられた。つまり、国体論を支えるものとして日本神話は制度化されたのであり、歴史も神話と天皇との融合による、現在からの主観による過去の客観的歴史の物語と化していった。
 即ち、1890年以降、日本の歴史学は日本文化の特殊性、固有性を描くための歴史学へと大きく変化し、歴史学は日本文化の発生と永続を証明すべく運命づけられ、歴史と神話をただ接続するだけでなく、歴史の中の何人かの復古の英雄のついての物語を埋め込むという課題をも担ったために、歴史が物語化していった。物語化し国学化した歴史は、一方でどんどん暴力的になっていき、他方で、その歴史学としての信頼を喪失していったのである。

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[歴史教育][教科書]日韓歴史教科書比較論

*本稿は2004.5.29-30に行われた世界学生会議4th Stage(世界の若者による対話―RING、http://of.ai/ring)の教育分科会(東京)でのプレゼンテーション用に作ったものを一部改稿したものです。


0. 目的
 本稿では、日本と韓国の歴史教科書を比較した上で、私論を述べる。まず、日本と韓国のそれぞれの歴史教育の位置づけについて扱い、次に各教科書の歴史的事象の記述について検討し、最後に私の考えを述べることにする。

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