[倫理学][道徳]23. 「生の哲学」と倫理学

 プロイセンではヘーゲルの死後、ヘーゲル哲学は急速に力を失いました(ヘーゲル哲学は弁証法での体系哲学を形成するものです)。体系=システムが形成されると、そのシステムから抜け落ちてしまうもの(=生き生きとしたこの現実)が出てしまい、システムが硬直化すると考えられたのです。

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[倫理学][道徳]22. 功利主義の倫理学

 カントの時代の倫理思想は、神の命令に従うのを前提にしていました。それに対してカントは、神の存在は証明できないのだから(=神は倫理思想ではない)、自分の理性に自分の道徳を基礎付ける(=自律)と考えました。
 他方、功利主義は「哲学的急進派」と呼ばれました。当時の位階制を温存しながらも資本主義が形成され、そこで生まれた軋轢に対して、イエスの倫理ではなく、新しい発想で取り組もうとした倫理学でした。

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[倫理学][道徳]21. カントの倫理学の批判者たち

21.1. シラー(Friedrich Schiller, 1759-1805)のカント批判
21.1.1. 「厳粛主義(リゴリズム)」と批判
21.1.1.1. カントのリゴリズム
 シラーは、カントが厳格に定言命法という道徳を突きつけて、命令を実現せねばならないと強迫していると言います。一人の人間の善さとしての徳がある人は、感性との戦いにおける全てを持つ人として善い人とされます。
 「嘘をつくべきではない」とは理性が語りますが、「『嘘をつくべきではない』と分かっていながらも嘘をつく人がいる」のは感性に負けるからです。つまり、人間の二面性(欲望/理性)は、欲望に対する態度に善悪が表れます。人間は欲望に対して戦わなければなりません。しかし、「人間がいつか欲望に勝てるか」となると、シラーは「勝てない」と語ります。生きている肉体には感性の欲望がある以上、生きている限り欲望と戦い抜かねばならず、生きている限り勝つことはできません。そんな中で「勝てもしないのに戦い抜くべきなのか」とシラーは疑問符を付します。

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[倫理学][道徳]20. カントの倫理学(2)

20.1. 心術からの捉え返し
▲Gesinnung:心構え

20.1.1. 適法性と道徳性
 「嘘をついてはいけない」という言説の理由を考えると、「嘘がばれたら怖いから」や「嘘をつくべきではないから」などが挙げられます。

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[倫理学][道徳]19. カントの倫理学(1)

19.0. カント(Immanuel Kant,1724-1704)の生涯
 まずはカントの主な著作を簡単に…。

◎1755 ケーニヒスベルク大学私講師
◎1770 ケーニヒスベルク大学講師→この頃から『純粋理性批判』を著すまでは沈黙状態が続きます。
◎1781 『純粋理性批判(Kritik der reinen Vernunft;KrV)』(=純粋理性を批判することを論じたもの。)…人間には何が分かって何が分からないのかを探ります。しかし、理性による神の存在証明が不可能であることを論証したため、キリスト教徒にとって危険思想ととられ、◎1793『単なる理性の限界内における宗教』を著すと、当局によって批判されました。特にフリードリヒ二世死後のヴェルナー王はカントを嫌っていました。
◎1788 『実践理性批判(Kritik der praktischen Vernunft;KpV)』…意志を決める理性に自由があること/ないことの区分をします。
◎1790 『判断力批判(Kritik der Urteilskraft;KU)』…個と普遍の関係、特に美の主観性と普遍性について、自然を見るときの「〜のため」を導入して理解する営みの謎を探ります。

 とまあ、訳が分からないかもしれませんが、カントの上記の批判書(三批判書)で試みたのはKritik(批判;<κρινω:分ける)の通り、分かることと分からないことを区分することでした。

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[倫理学][道徳]18. 対話の倫理学

 法は「そもそも遵守すべきだと判断したから守る」ということでその道徳的正当性が確保されます。「放棄にあるから守る」のではそこに道徳性はありません。道徳の正当性を主張できる場面は良心を根拠にして説得することができる場合に限られます。内容によっては共有されるものとは限らず、道徳の正当性を主張する前の段階の基盤を整備する必要が出てきます。
 その場合に、対話が有用である場面が発生します。対話を行う根拠として、事実や未来の結果やルール、権威のような現前する事実としての性格を有していること(現事実性)から先の根拠へと進み、ワンランク上の規範を求めるべきだということが挙げられます(ちなみに、権威を持つ者[権威者]は、自分が自律的で権威を持っていると判断します。しかし、それ故に他人のしていることにすがるのは自己の自律を破壊するものとして拒否することがあります)。

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[倫理学][道徳]17. 道徳的判断のもっともな理由

 ある主張や判断が「正しい」と思えるのはなぜでしょうか。この問いに対して何らかの答えを出すことができなければ、あらゆる主張や判断の正当性が疑われてしまいます。果たして、道徳的判断の根拠をどこに求めればよいのでしょうか。

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[倫理学][道徳]【補遺】 環境倫理学――環境正義

1. 環境正義の背景
 「環境正義(environmental justice)」は環境保全と社会的公正を同時に実現するように求める思想である。環境正義はアメリカで1980年代頃から問題となった「環境人種差別(environmental racism)」の批判として展開した「環境正義運動(environmental justice movement)」に端を発する。

1.1 環境正義運動の展開
 1982年にノースカロライナ州のPCB廃棄物埋め立て計画が浮上した。当時、PCB廃棄施設は比較的経済的に裕福な白人が居住する地域よりも、貧困層が多い地域やアフリカ系アメリカ人が多い地域に集中して建設された。アフリカ系の人々は社会的差別を受け、さらに都市埋立地の問題や、毒性廃棄物処理場の設置問題でも差別的措置が行われていた。このことが、「恵まれた立場である白人のみにより良い環境が確保され、不遇な立場にあるアフリカ系の人々に有害な環境を強いている」という「環境人種差別」として問題化した。
 これに対して、アフリカ系の人々を中心に抗議運動が展開されたが、500人以上もの人が逮捕され、運動は失敗に終わった。しかしながらこの抗議運動は環境正義運動の象徴的なものとなった。その後、1987年に合同キリスト教会人種的正義委員会が『合衆国における有害廃棄物と人種』という調査結果を出し、1991年には全米有色人種環境運動指導者サミットが開催され、その宣言として「環境正義の諸原則」が採択され、1994年に当時のアメリカ大統領クリントン(Bill Clinton)が大統領命令「マイノリティ人口と低所得人口における環境正義の確保のための連邦政府の行動について」に署名した。
 以上の一連の流れのように、環境正義は人種問題、特にマイノリティがよりよい環境を享受する権利を保護することと絡んだ形で議論される形となった。

1.2 環境正義運動の影響
 そもそも環境正義の概念はアメリカの国内問題として出発し、先住民の権利問題のように人間中心主義の側面から出発した。しかしながら1992年に行われたリオデジャネイロの地球サミットを契機に、環境正義の概念がアメリカ先住民の権利問題と絡んでグローバルな形で理解されるようになった。
 また、経済成長に伴い各地で公害問題が起こった。重工業化に伴う大量の資源消費による経済では大量の廃棄物が発生し、その処分が問題になった。特に廃棄物の中には有害物質が含まれるために、廃棄場の周辺の土壌や水質の悪化を招き、周辺住民の健康や生活環境を悪化させた。このことから、廃棄物処理の被害の正当な配分が問題化した。

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[倫理学][道徳]16. 環境破壊と平和の倫理学

16.1 戦争と環境破壊
16.1.1 ヴェトナム戦争
 ヴェトナムは国土の約40%が熱帯雨林で、地上での戦闘を行う場合はゲリラ戦となり、戦いにくい環境です。そこでアメリカ軍はヘリコプターで枯葉剤を散布してゲリラ戦を行えないようにしました。ゲリラ戦が行えなくなったところでナパーム弾を投下して森林を焼いて上陸し、ブルドーザーで表土を取って大木が育たないように雑草を蒔きました。そのため、ヴェトナムの森林面積が約21パーセントに減少しました。

16.1.2 湾岸戦争
 1990年8月にサダム=フセイン政権だったイラクがクウェートに侵攻しました。これに対してアメリカを中心とする多国籍軍が1991年1月17日に「砂漠の嵐」作戦を決行し、バグダッドや重要軍事拠点に空爆を行いました。このとき、オイルに塗れたウミドリの写真が新聞などに掲載されました。これはイラクが多国籍軍を上陸しづらくするために、クウェートの油田を破壊してオイルを流したことに起因します。当時のアメリカのブッシュ大統領はこれを「環境テロリズム」と非難しました。
 また、湾岸戦争では300tの劣化ウラン弾が使用されました。屑鉄を拾って金を得ようとする貧しい子ども達は劣化ウラン弾を素手で持ち歩いたため、子ども達は癌化し、早い年齢で死亡していきました。

16.1.3 核による環境破壊
 核兵器は1発で大量の人間や自然環境を破壊することができます。そのため戦闘遂行には非常に合理的な武器とも言えます。しかし、核兵器はその強力な破壊力や影響の故に人間生活や自然環境にとって驚異的なものでもあります。1996年に包括的核実験禁止条約が締結されましたが、未だに本格的に批准される動きがありません。第2次世界大戦から1996年までに2044回の核実験が行われました。核の恐ろしさはビキニ島の事例が証明しています。

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[倫理学][道徳]15. 環境倫理学――持続可能性をめぐって

 今回は、持続可能性をめぐる問題を扱います。

15.1 地球の有限性の顕在化
 大航海時代を経て、地球が球体であることが分かってきました。地球の土地は有限であり、拡大しないものだと理解されてきました。土地が有限ならば、それを取り巻く大気も有限で、無際限にあるものではありません。技術・進歩などによって「今日より明日は明るくなる」という進歩観は改めるべきでしょう。
 資源の特質として、枯渇性(化石燃料のようにやがて枯渇するもの)と更新性(森林のように繰り返し更新されるもの)が挙げられます。枯渇性資源を使って現在我々が生きていることが問題です。特に枯渇性資源を使用しているのは殆ど先進国の人間です。水は更新性資源ですが、最近は工業用水への利用により水が循環しなくなっているため、更新性があるかは疑問です。しかも、水は途上国が開発し、その利益が先進国に渡ります。
 地球温暖化のような問題は、地球が大気圏に覆われた状態であるが故に、二酸化炭素に代表される温室効果ガスが大気圏での許容可能な量を超えて留まることで発生します。しかし、温暖化の影響は南北問題で言及されるような途上国に作用し、海面上昇や土壌汚染などの問題を引き起こします。後に言及しますが、南北問題が問題の構造上、地球環境問題を引き起こし、先進国の開発や消費のツケを途上国に負わせている講図になっています。

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[倫理学][道徳]14. 環境倫理学――自然の権利

 今回からは環境倫理学(environmental ethics)について扱います。
 そもそも環境問題は人間が加害者にも被害者にもなり得るもので、極めて不確実なものです。二酸化炭素(CO2)やオオタカ保護の問題に関して無関心である人は多いものです。二酸化炭素の被害が現れるのが100年後であるとすれば、なぜ今に問題提起をしなければいけないのでしょうか。なぜオオタカを守るためにお金をかけなければならないのでしょうか。
 他方、公害に関して日本人は敏感です。公害は人体に影響が残るために、加害者や被害者の特定が明確です。即ち、公害は汚染者の不作為によって引き起こされたものと考えられているのです。
 環境倫理学は複数の様相にまたがる問題を扱うのですが、今回は自然の権利問題について検討します。

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[倫理学][道徳]13. 生命倫理学――パーソン論

13.1 パーソン論の射程
 パーソン論のパーソン(person)は「人格」を意味しますが、パーソン論を「人格論」と訳すと分けが分からなくなるので「パーソン論」のままにしておきます。
 1997年に日本で臓器移植法が施行されました。その前の1992年には脳死患者の臓器摘出のために大阪府警に検死を求めたが、府警は殺人罪になるとして拒否する事件がありました。脳死患者は人間であってもpersonではないと考えられていました。

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[倫理学][道徳]12. 生命倫理学――自己決定権

 今回から応用倫理学(applied ethics)の分野に入ります。応用倫理学は1970年代頃から出てきたもので、現場の現実から倫理学的原理を発見していく学問です。「応用」というのは、現場の状況が変わればそれに応じて原理もその変更が迫られ、流動的であることを表します。まず今回から数回にわたり、いわゆる「生命倫理学」と呼ばれる分野を扱います。中でも今回は自己決定権の内容とそれにまつわる問題について検討します。

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[倫理学][道徳][社会哲学][政治哲学]11. 徳は復権するか――共同体論より

 人間は、自分にとって善い人生を歩むための共存社会を考えるとき、一人一人が個人主義的性格の強い考えを持つ社会を想定します。しかし、近代以降、徳を語ることをやめてしまいました。

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[倫理学][道徳][社会哲学][政治哲学]10. 正義とは何か――正義論より

 20世紀に善悪の定義について証明ができないと議論が進み、倫理学があるべき社会や人間について語らなくなっていきました。いわば現場から撤退したようなものになりました。
 1971年にロールズが『正義論』を出し、正義の問題としての倫理学を展開し、1980年代にそれに対する批判が出て、政治哲学の原理的問題として議論が展開されていきました。
 今回は、正義をめぐる議論から正義とは一体何なのかを考えます。

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[倫理学][道徳]9. 善悪とは何か

 今回は善悪について考えます。

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[倫理学][道徳]8. 人間は本当に自由か

 今回は、自由の問題を扱います。

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[倫理学][道徳]7. 道徳と幸福の関係

7.0 幸福と幸運
 ドイツ語でGlück(Glückseligkeit)は、「幸福」と「幸運」の2つの意味を成します。幸福は、「自分で努力して幸せになること」と「自分で努力しても幸せになれないことがあるかもしれないもの」の二通りの意味に使われます。

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[倫理学][道徳]6. 倫理学は独自性を持つか

 倫理学が他の学問と関わるのであるならば、倫理学はどのような独自性を持つのでしょうか。それとも、倫理学は他の学問に吸収されてしまうのでしょうか。

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[倫理学][道徳]5. 倫理学と他の学問との関わり

 今回は、倫理学と関係の深い学問を取り上げ、それらと倫理学との関係について見ていきます。
 学問には、人間の実践に関わる学問と人間の理論に関わる学問とに大別されます。実践に関わる学問は「どのように生きるか」のような問いに関わり、理論に関わる学問は、そもそもどうなっているのかを分析します。

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[倫理学][道徳]4. 道徳と道徳性の関係

 以前、道徳(Moral)は場所「所変われば品変わる」もので、道徳性(Moralität)は道徳を「道徳」とたらしめているもの、「善」とよばれる行為に共通の質のことだと言いました。今回はこの2つの関係についてもう少し深く考えてみます。

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[倫理学][道徳]3. 道徳の複数性

 道徳は、ある共同体を支配している「〜べきだ/べきでない」で語られるものの総体のことで、共同体の構成員(メンバー)にある種の内面からの拘束力を持たせるもので、「所変われば品変わる」ものと言いました。道徳は人間が生み出したものだから、道徳も文化であるとも言えましょう。では、人間は人間としてなぜ道徳を生むのでしょうか。

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[倫理学][道徳]2. 道徳的行為とは何か

2.1 行為の道徳的次元とは何か
 前回は倫理学とは何かについて述べました。そこで、倫理学は道徳的行為の構造を問うものであると述べました。では、そもそも行為に道徳的なものが付与される次元というものは一体何でしょうか。

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[倫理学][道徳][哲学]1. 倫理学とは何か

1.0 導入
 最近、「企業倫理」という言葉を耳にします。「倫理」というと、モラルや道徳などと関わりがあるように思えます。また、高等学校公民科では「倫理」という科目があります。それと倫理学とは全く同じものなのでしょうか。
 ここでは、倫理学とは何かを考えてみたいと思いますが、倫理学と関わりの深い哲学についてまず考えてみます。

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